Emptiness Play — JA

目次

  1. 概要
  2. 「ゲーム」の再定義
  3. 思想的基盤
  4. 自己相似性
  5. MRパフォーマンス
  6. 公開実験としての進化
  7. 技術構成
  8. 社会的意義
  9. 結語

1. 概要

Emptiness Playは、プレイによって音楽と映像が生成されるMR(VR)マルチプレイ体験であり、同時に「創造とは何か」「創造する主体は本当に存在するのか」という問いを探求する公開実験である。

複数の参加者が物理空間に立ちながら、MRデバイスを通じて仮想オブジェクトを生成・共有し、集団的な演奏を行う。参加者がトリガーやボタンを操作するたびに、さまざまな性質を持つオブジェクトが空間に生成される。生成されたオブジェクトはときに落下し、バウンドし、あるいは宙に浮いたまま、他のオブジェクトや参加者の身体、そして物理空間(床・天井・壁・家具)と衝突しながら、音を発し、光が揺らぐ。オブジェクトは時間とともに消滅し、あるいは参加者自身の操作によって消去される。重力の向きや物理的挙動、音響は、参加者の操作や確率的アルゴリズムによって変調され、参加者は結果を完全にはコントロールできない。操作と結果の間にはズレが残り、そのズレが偶然性を生み、予期せぬ共鳴を引き起こす。明確な目標は与えられず、参加者たちは音と光の可能性を探索しながら、即興的に協働する。

参加者は問う。「この音と光は私が生んだのか、それともシステムが生んだのか、それとも他者が生んだのか」

2.「ゲーム」の再定義

本作は「アートゲーム」として位置づけられる。ここでいうゲームとは、勝敗や達成目標を持つ娯楽ではない。荘子が描く、目的や有用性に回収されない自由な「遊び」に近い。参加者は結果の獲得ではなく、探索そのものに没入する。

同時に、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」が示すように、意味は固定的な定義ではなく、使用の文脈と参加者の相互作用によって立ち上がる。Emptiness Playでは、音や光の意味は事前に定められず、参加者の反復・応答・観察のなかで生成され、更新される。ルールもまた同様である。明示的なルールブックは存在せず、プレイの実践を通じて、参加者たちのあいだに暗黙の作法やパターンが浮かび上がり、また崩れていく。ルールは与えられるものではなく、使用によって立ち上がるものとして機能する。

そして本作には、勝利条件も正解も用意されていない。明確な目的がないことは欠陥ではなく本質的な特徴である。人生にあらかじめ勝利条件が与えられていないように、Emptiness Playは固定されたゴールを設定しない。参加者が行うのは与えられたゲームの攻略よりも、偶然と他者の介入を受け入れながら、場そのものをチューニングしていく試行錯誤である。参加者は、意味を作る主体から、意味が立ち上がる場へと変容していく。

3. 思想的基盤

思想的基盤には、仏教の「空(emptiness)」概念がある。般若心経が説く「色即是空、空即是色」が示すように、あらゆる現象は固有の本質を持たず、条件の連鎖(縁起)によって一時的に立ち上がる。これを創造行為に適用すると、創造は作者個人の内側から湧き出るのではなく、身体・環境・システム・他者との相互作用の中で生起する出来事として捉え直される。この哲学的な問いを、インタラクティブシステムの振る舞いとして翻訳することで、思想を読むのではなく身体を通じて体験することを試みる。

4. 自己相似性

本作の構造は、ゲームと世界の自己相似性を露わにする。参加者の操作によって多様な現象が生まれる一方で、その生成は、確率と制御の枠組みの中で生起しているにすぎない。この「創造の模倣」とも言える構造は、本作の核をなす。人間の創造行為もまた、物理法則と認知という制約のもとで行われる、条件付きの自由だからだ。

参加者は、操作と結果、意図と偶然のあいだを往還しながら、創造行為そのものが「空」——固有の主体に属するものではなく、条件の連鎖の中で立ち上がる現象——であることを体験する。

この体験において重要なのは、システムが自らをシステムとして認識する再帰的な瞬間である。参加者が「自らの創造もまたシステム内の出来事である」と気づくとき、創造する主体という立場そのものが観察可能な対象として立ち上がり、メタ的な転換が生じる。ここで起こるのは外部からの転覆ではなく、システム内部で起こる認識の反転である。自由と拘束、制御と偶然、主体と客体といった二項対立が揺らぎ続ける運動の中で、本作は創造という行為そのものを、経験可能な現象として提示する。

5. MRパフォーマンス

さらに本作はMRパフォーマンスとしても展開される。コンテンポラリーダンサーのbundai、中川鈴音が、MRデバイスを通じてオブジェクトを生成・操作する。音と光を生み出すプレイの中で、その身体運動が踊りへと変容し、創造が生まれるのかを問う。

身体・オブジェクト・システムの相互作用の中で、創造の帰属が不確定になる過程そのものが、パフォーマンスの核心となる。

6. 公開実験としての変容

本作は、固定された作品ではなく、継続的に変化するプロジェクトとして設計されている。異なる背景を持つ人々がプレイすることで、想定外の使い方や表現が生まれ、それらのフィードバックを受けてシステム自体が更新される。作者・演者・観客の境界を流動化させ、誰もがプロジェクトを変容させうる構造を目指す。中心的な完成形を持たず、複数の派生バージョンが並存する状態を肯定する。

現在プロトタイプは実装済みであり、2026年前半にダンサーと参加者を交えて1回目の公開実験を実施予定である。実験では映像・音・参加者コメントを記録し、ズレと共鳴が生じる条件を分析して生成アルゴリズムを更新する。変更点は公開され、次回セッションで再検証される。このサイクルを通じて、プロジェクトは継続的に変容する。

7. 技術構成

本作は、Meta Quest 3のパススルー機能によるMRマルチプレイ体験として実装されている。参加者の操作や動作をトリガーとした確率的音響・視覚生成アルゴリズムを搭載し、Photon Fusion 2とMeta Shared Spatial Anchorsにより、複数デバイス間での同期と空間共有を実現している。今後、完全なVR環境での展開も計画されている。

8. 社会的意義

生成AI技術が急速に発展する現在、創造性を個人の才能や内面に帰属させる前提そのものが揺らいでいる。Emptiness Playは、人間の創造性を「個人に固有の能力」ではなく、条件と関係の中で生起する出来事として捉え直す。作者中心の物語から、相互作用が生む現象へ。創造の主体を問い直す視座を体験として提示する。

9. 結語

このプロジェクトは、哲学的な問いをインタラクティブシステムの振る舞いとして翻訳する試みである。完成形を持たず、多くの身体と意志を巻き込みながら変容し続けることで、作品概念自体が「空」の実践となる。

制作: Eguo
コンテンポラリーダンス: bundai, 中川鈴音

Eguo:
東京出身のメディアアーティスト。自作の電子音楽と映像を融合させたオーディオビジュアル表現を軸に、Boiler Room(Video bouillon名義)などでのライブパフォーマンスや、ビデオ作品、ビデオゲーム作品、XR作品などを多数制作。近年は主にVR/MR/ARを用いた身体的なオーディオビジュアル表現やビデオゲーム表現、インタラクティブ表現を探求し、作品に「多角視点」「メタ視点」「ブラックユーモア視点」を織り込んでいる。XR作品では、NEWVIEW AWARDS 2021でPARCO Prize、アジアデジタルアート大賞展 FUKUOKA 2024インタラクティブ・アート部門で入賞、 東京ゲームショウ2025 SELECTED INDIE 80に選出。

bundai:
トランスエイジャー。読むこと歩くこと瞑想や呼吸、睡眠を生業に、様々な存在に突き動かされ、動いたり動けなかったり。踊ったり踊れなかったり。

中川鈴音:
1999年生まれ、滋賀県出身。
お茶の水女子大学 芸術・表現行動学科 舞踊教育学コース卒業。
出演や個人での活動のほか、衣裳作家の平野みなみと共同制作を行う[Humpit]、地下空間Theater, Sweet Theaterを構えて活動するダンスカンパニー[Reconu]としての活動も行う。

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